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忘れるということ。

昨日は久々に父方の墓参りへ。

結構な山の中にあるので、
行ってみたら季節柄とはいえ、
えらい勢いで雑草が生えていて、
さながら廃墟のようだった。

春先に綺麗にしたのに・・・。

しかしまぁ邪魔な草を引っこ抜いて、
掃除をすると
やっぱり墓地独特の雰囲気が醸し出されるから不思議だ。

そしてお線香を上げながら、
「あぁ、やっぱり定期的にやらないと何でも忘れていくんだな」と
何となく思うのであった。

墓参りやお葬式の類は死者の霊に敬意を表して、
というものだと何処かで聞いたことがあったが、
昔からどうもそれには首を縦に振りかねていた。

それらの儀式は、
やんないと自分たちが
その人の存在を忘れてしまうからやってるんであって、
とどのつまりテメエらの為にやってるんだろうと思うのだ。

そうしないとどんな大事なことでも人は容易く「忘れてしまう」。

一定のリズムで何かイベントめいたことをやっておかないと、
その存在があったことすら瞬く間に忘却の彼方だ。


そんなことを考えながらふとニュースを見ると、
なんでも原発再稼働だそうだ。
本当になんのか?とは思っていたが、
どうやら世の中というものは忙しく出来てるようで、
1年ちょっと前の出来事も簡単に忘れられてしまうらしい。

原発反対の声も何となくトーンダウンしているように思う。

政府にだって腹は立つが、
「絆」だの「頑張ろう」だのといった美辞麗句に踊らされて、
もう何もかもカタがついたような顔をしている人が
自分の住むこの街にも随分いるように見える。

何も片付いちゃいないし、
むしろこれからなのだ。

しかしこれからもドンドン
原発を巡る反対運動のイベントはマイノリティー化していくだろうし、
この国の人々はそうした少数派をあざ笑い、
煙たがる傾向が特に強い気がするから
益々沈滞化していくんではなかろうか?。

歌には「歌い継がれる」という特性がある。
しかし今「歌い継がれる」歌が一体どれくらいあるんだろう。

しかし運動が沈静化していくなかで
人々にその記憶を留めさせるのはそうした「表現」なのかもしれない。

オレはプロパガンダを謳うつもりはないけれど、
失くしたものについてはこれからも歌っていくつもりだ。

誰に聴かせることもないけれど、
その曲を歌えば少なくとも自分だけは「忘れない」でいられるだろうから。
by domino6996 | 2012-06-24 10:45 | 風の覚え書き
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